2、 頭の使い過ぎによる疲労からの回復

八卦掌の練習は、自分の中で滞っている部分を感じ取ることから始めます。
意識は身体を制御することに用いるよりも、まず身体の自然な反応を感じ取ることに向けます。
身体の感覚を主役にした練習なので頭の疲れを取る効果が期待できます。
 
江戸時代に「養生訓」を書いた福岡藩士の貝原益軒氏は、「心は主君で、体は従者」と表現しました。
当たり前のことのようで中々深い言葉です。
多くの人は自分の体のことを何でもよく理解しているつもりだと思います。
ところが、主君と従者という表現には、主君には主君の考え方と行動があり、
従者には従者として主君とは別の考え方と行動があると理解できます。
つまり、体には体として心とは別の考え方と行動があると考えられます。
会社の部下にいい仕事をしてもらうためには、部下の長所と短所を把握し、
また、部下のモチベーションあるいは、苦労と悩みを客観的に理解しておくのが理想です。
そうすることで、任せられる仕事は手放しで任せきりにし、必要なところで適切な指示を出す。
こうすれば相互の信頼関係は増し、パートナーとしての効率とパフォーマンスは上がります。
 
体についても同じことが言えます。
皆さんは、一生のパートナーである身体のことをどれだけ客観的に理解できているでしょうか。
日本では、衛生環境、医学、流通経済の発達などにより
栄養失調や疫病に見舞われることはなくなりました。
また、家事の多くも各種家電が代行してくれます。
ですので、「部下」である体は、昔よりも随分楽をしているはずだ。
果たしてそうでしょうか?
 
私は、現代においては体が今までに経験したことのない環境下で
大きなストレスにされされていると感じています。
その環境を理解し少しでも体をそのストレスから解放させてあげれば、
心も体ものびのび働けるでしょう。
                                     
 
現代社会のストレス1)
パソコンを用いた長時間のデスクワーク:
 
パソコン作業は、頭と眼と指先だけを酷使します。
指先への刺激や指の運動は脳を活性化させるという指摘もあります。
眼は露出した脳とも言われます。つまり、パソコンを用いた作業は、
体の大部分をじっと静止させた状態で脳を酷使させる状況です。
人間は動物ですので、本来ある程度動いているのが体にとって
一番自然な状態といえるでしょう。
眼精疲労、頭痛、肩こり、冷え性、自律神経失調症など
多くの不快な症状を引き起こす原因と考えられます。
 
 
現代のストレス2)
機械と分業:
 
日本では、製造業のほとんどの分野で機械の方が
人間よりもコストパフォーマンスが高くなってしまいました。
人が行うと時間のかかるかなり複雑な作業まで機械がこなします。
工場の無人化は相当に進み、機械の工程と工程をつなぐ一部単純作業だけを
人が担当していることも間々あります。一台の機械は大変高級ですが、
そうした機械はマンパワーが高く、長時間働いても不平を言わず、
体が痛いとか気分が優れないといって休んだりしません。
そこで生産計画は機械のペースを中心に立てられる傾向にあります。
不景気になると、生産コストを下げたいのでなおさらそうなります。
高級な機械を一秒でも長く止めておくことが直接生産コストを上昇させるからです。
人と機械の関係は、人が複雑な機械を自在に操っている姿だけであればよかったのですが、
しかし実際は、人が機械のペースに追いたてられて
一日中単純作業を繰り返していることが多くなっているようです。
中々指摘する人がいないようですが、こうした単純軽作業も体と心を
蝕む可能性があると考えています。
 
 
上述の1も2も、生活していくための大切な仕事です。
ですから、こうした作業をなくすことはできません。
できるところから、体をケアしてあげることが重要です。
 
体はとても高い能力を秘めています。まるで、パソコンで日頃用いない部分にも、
多くの優れた機能があることに後から気づくように、体もたくさんの引き出しを持っています。
八卦掌の練習を進めると、体の様々な能力に気づき驚くことがあるでしょう。
自分の体に感心し、褒めてあげる。こうして体に対する感受性が高まると、
日常生活で身体を守るための調整能力が高まります。
 
今までは耐えられないほどの不調が身体に生じるまで耐えていたところを、
身体が発する小さなシグナルを事前にキャッチし、
それ以上のストレスを回避できるようになるからです。
 
 
 1つ前のページに戻る 
 
 
 
 トップページに戻る
 
 
inserted by FC2 system